被災地をめぐる【前編】
▲気仙沼市内にて(この建物は斉藤さんの家ではありません)
9月8日、9日に行われた気仙沼ツアーでは
編みものをすることと、もうひとつ、目的がありました。
それは「被災地を自分たちの目と耳で知る」ことです。
9月9日、斎新商店の斉藤隆一さんにご案内していただき、
あの日の気仙沼のこと、これからのことについて
お話を伺いながらのバスツアーが行われました。
=2011年3月11日=
まず向かった先は、更地の並ぶ土地にぽっかりと建つ2軒の家でした。
既に住める状態ではないその家は、
斉藤さんと長男龍彦さんのそれぞれの住まいで、
龍彦さんの家は建てて4ヶ月程の新居だったそうです。
当時、家に居た隆一さんの奥さんと二男さんは、
地震が起きて新居の屋上に逃げました。
「いのちが二つ助かったと思えば、
高い買い物じゃなかったかもなって。
ふたりが助かったから。」
斉藤さんはそう呟きますが、
辺り一面の様子や、壊れた家を見ていると、
その言葉はとても重いものでした。
被災した家の傍らにはコスモスが咲いていました。
「これ、いつもどおり咲いたんですよ。
植物は強い、自然は強い...。」
斉藤さんは港に近い会社で、
長男の龍彦さんは出張中の都内で
龍彦さんの奥さんは買い物中に、
それぞれが被災したのです。
=襲来する黒い壁=
▲参加者に当時の状況を説明する斉藤隆一さん(左から2人目) 市場にて
「まず、自分が助かろうとすること、逃げること。
家族全員がそういう気持ちでいれば
必ず全員助かります。」
港に近い会社で被災した隆一さんが逃げたのは、
市場(いちば)の屋上でした。
「山へ向かう道は車がいっぱいでした。
こっちは逆方向なので空いていましたね。」
隆一さんはなぜ、海のそばに建つ市場へ逃げたのでしょう?
それは、頑丈な建物であることと、
一階がピロティになっていて
水が通り抜けるということからの判断でした。
津波という言葉では表現しきれない程の、
真っ黒な壁が現れたのはまもなくの事でした。
「気仙沼湾の中を、船がぐるぐると、
ものすごいスピードで回っていた。
最後まで波と戦ってる船がいて、
すごい船頭がいるなって。」
自宅で被災した奥さんと二男さんを、
自衛隊が救出することになるのは
2日後のことでした。
「これからは安全な場所に家を建てても、
やっぱり職場は海のそばになります。
そのためにも、ここ(市場)のような、
避難できる場所が必要です。」
つづく